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    ■全国で毎日約90頭が自治体に殺されている

    第2回から続く)

    あなたは犬や猫が殺処分される様子を見たことがあるだろうか。

    私は犬も猫も飼ったことがない。だから以前は「1年間に数万頭が殺処分される」と聞いても、正直ピンとこなかった。それが奄美大島の「ノネコの殺処分計画」を知り、殺処分を何とか阻止しようと活動する人たちを見て、また取材の合間に犬や猫と触れ合ううちに、その気持ちが少しずつ変わっていった。

    「飼えなくなったから」と捨てられた犬や猫は、そこで繁殖し、最後は自治体に保護されることになる。そして引き取り手のいない犬猫は殺処分されてしまう。

    昭和50年前後は年間100万頭もの犬や猫が処分されていた。年々減少しているが、いまだに猫が約2万7000頭、犬が約5600頭、計約3万2700頭も殺処分されている(2019年度)。全国で毎日約90頭が殺されていることになる。

    ■糞尿にまみれ、ゴミのように積み上げられる

    東京都千代田区では、全国に先駆けて2011年に猫の殺処分ゼロを実現し、現在も継続している。自治体と協働して「飼い主のいない猫」問題に取り組む「ちよだニャンとなる会」代表の香取章子さんは、こう訴える。

    「殺処分は必要悪、ゼロにこだわるのはおかしいという人が今もいますが、そういう発言をする人は殺処分の現場に行って見てきてほしい。知らない動物と一緒にガス室に入れられ、これから殺されるんだと察知している彼らの絶望的な目を見たら、殺処分ゼロがどんなに素晴らしいことか、わかります

    だから私も、ある自治体が犬や猫を殺処分するまでの様子を収めたビデオを見た。狭い殺処分室に何匹も押し込められ、たくさんの犬や猫たちが怯え、鳴いている。そして自治体の職員が、「ガス注入」のボタンを押す。すると動物たちは足をばたつかせ、もがき苦しみながら次々にひっくり返っていく。

    なんて残酷な光景なのかと涙が止まらなかった。死んだ犬や猫は糞尿にまみれ、ベルトコンベヤーで運ばれ、ゴミのように積み上げられる。それから焼却され、骨になる。

    ■「命を奪うために獣医師になったわけではない」

    東京都獣医師会中央支部長で獣医師の神坂由紀子さん(番町いぬねこクリニック)は言う。

    「ガス室での殺処分がかわいそうだからと、獣医師が注射によって安楽死をさせる方法ならと考える人がいるかもしれません。しかし、これは獣医師の負担が大きいのです。安楽死のための注射を打ち続ける毎日に絶望し、動物の診療ができなくなる人もいます。私たちは命を奪うために獣医師になったわけではありません」

    同じく獣医師の齊藤朋子さんは、「殺処分ゼロ」を目指して走り続けてきた。「あまみのねこ引っ越し応援団」として奄美大島で捕獲される猫を譲渡する活動を行いつつ、NPO法人ゴールゼロ」の代表も務める。「ゴールゼロ」とは、殺処分ゼロへの誓いから生まれた名称だ。

    ■「動物のお医者さんってかっこいい!」と思った

    齊藤さんは小学4年生の時から獣医師を志してきた。

    「犬も猫も拾ってくるような実家で、さらに母親はうさぎが好きで飼っていました。ある時、わが家で生まれたうさぎ赤ちゃんが室内で足の骨を折ったので、動物病院に連れていったんです。折れた足をテーピングで固定して、その赤ちゃんが歩けるようになった時、動物のお医者さんってかっこいい! と思いました」

    勉学に励み、獣医学部に進学したものの、卒業する頃には就職氷河期時代。齊藤さんは小さな製薬会社に就職し、そこで犬猫に対する薬の国内認可を申請するため、英語の臨床試験のデータ日本語に翻訳する職に就いた。

    「たしかに獣医学の知識がないと難しい仕事でしたが、動物に治療をするわけではないし、つまらなかった」

    入社して6年ほどたった頃、齊藤さんはある病を発症して休職、入院生活に。

    「熱がなかなか下がらなくて、しんどい入院生活中、自分が休んでも会社も世界もまわっていくんだな、と実感しました。自分ではすごくがんばってきたつもりだったけれど……。それで会社を辞めたんです。その頃、動物愛護団体シェルター(保護施設)から、獣医になってほしいといわれて、でも私は獣医大学を卒業して5~6年もたっているのに注射もできない。動物病院に勤める年下の獣医師からいろいろ教わりました」

    ■獣医師が避妊去勢手術を施さなければ、殺処分は終わらない

    経験を積んでいく中、衝撃的な出会いがあった。

    野良猫の避妊去勢手術をする獣医師に出会ったのだ。

    野良猫、つまり飼い主のいない猫を診る人なんて見たことがなかったんですよ。その人は言っていました。『ボランティアは誰でもできるけど、避妊去勢手術は獣医師にしかできない。繁殖制限こそが殺処分ゼロへの近道。獣医師がこれを施さなければ、殺処分は終わらない』と。頭をがーんと殴られたようでした」

    齊藤さんは幼い頃、母親と一緒に、殺処分を待つ犬猫を見に行ったことがある。たくさんの犬や猫が保護されていた。ここから1匹だけ選ぶことなんてできないと肩を落として帰宅した。

    殺処分を待つ数多くの犬猫をゼロにするには、獣医師がやらなければいけない。目の覚めるような思いだった。

    ■愛猫家が見ず知らずの猫のために数千円を払うワケ

    2010年、齊藤さんは看板も出さずにクリニックを立ち上げ、野良猫に対する避妊去勢手術を始めた。ボランティア野良猫をつかまえ、その手術を数千円で請け負うのだ。

    私はボランティアすごいと感じる。たった一回出会っただけの、見ず知らずの猫の避妊去勢手術のために自分のお金で数千円を払うのだから。そこには猫への強い愛情がある。そして齊藤さんと同じように、殺処分ゼロの世界を目指している。

    「殺処分ゼロは夢物語っていう人、いっぱいいます」と、齊藤さんは力強く話す。

    「戦争がない平和、交通事故ゼロもそうですが、無理だよって言った瞬間、それは目指していないことになる。特に避妊去勢手術ができる獣医師は諦めちゃいけない。もし、『そんなの到底無理』という獣医師がいるなら、その先生の前には安楽死があるんでしょう。殺処分ゼロは、それを目指している人の前にこそ現れるのだと思います」

    だから、奄美大島で行われる国内初の「殺処分を含めた猫の捕獲計画」には大反対なのだ。

    ■保護猫カフェの代表が、里親の家を直接訪ねる理由

    横浜にある譲渡型猫カフェケット・シー」では、奄美大島のノネコを中心にしつつも、15のケージに余裕があれば、全国各地の殺処分されそうな猫を受け入れている。

    カフェは、開放的でおしゃれな雰囲気だ。明るい色の木の床がとてもきれいで、動物臭もほぼしない。猫が糞をすればその都度拭き取り、頻繁に掃除をしているという。壁には防臭効果のある漆喰を使い、床暖房を入れている。換気にも気を配ることで、猫と人間がどちらも快適な空間をつくっている。

    ここから譲渡されていく猫たちには幸せになってほしい、とスタッフ誰もが願う。

    だから正式に猫を譲渡する際には、代表の服部由佳さん自らが里親さんの家を訪ねる。それに付き添ったボランティアの岩﨑日登美さんは「届けに行くことはすごく大事」という。

    「まず、申請された住所が、本当にその方の家かわからないでしょう。次に、収入や家の広さなど“猫を飼う条件”がよくても、室内が不衛生など、飼育に適した環境でないこともあります。最近は譲渡前のやりとりをSNSで行うことが多いので、行ってみて猫が安全に幸せに暮らせる環境かどうか、目で確かめることが大切です」

    ■今のところ「もう飼えません」と音をあげた人はゼロ

    大抵のペットショップでは売ったら終わりだが、「ケット・シー」では譲渡後のフォローもする。譲渡1カ月から6カ月までは月1回写真を提出して報告してもらう。その後は1年ごとに報告してもらうことになっている。

    「まだケットシーができて1年なので、譲渡から1年以上経った猫はごくわずかですが、これからどんどん増えていきます。どう管理していくか、頭を悩ませています。ここで譲渡する際は『終生飼育する』ことが条件で、第三者への譲渡は禁じています。今のところ『もう飼えません』と音をあげた人はいませんが、病気など何か思わぬトラブルがあって、『飼えなくなった』と言われたらどうしようと今は案じています」(服部さん)

    ケットシー」では月10頭を譲渡していて、オープンから1年経過した今、譲渡数は120頭を超えた。そのうち42頭は奄美大島からきたノネコだ。

    奄美大島のノネコはどんな性格なのか。

    ■根拠の乏しい「ノネコ管理計画」が明らかにしたこと

    「穏やかで、とっても性格がいい子が多い」と岩﨑さんは応える。岩﨑さんは、現在、預かっている猫も含めて、なんと20匹を飼育中なのだそうだ。

    奄美大島のノネコは他の猫に意地悪をしたり、飼い主を『自分のもの』と自己主張するような様子がない。むしろ子猫がいるとお世話をしてくれるんです。ええ、猫が猫の面倒をみるんです(笑)。もちろん、たまたまかもしれません。でも私は、奄美大島のノネコに自分の保護猫活動を助けられていると感じます」

    ノネコが希少種を捕食している。だからノネコを、猫を奄美大島の森から排除しなければならない。国のノネコ管理計画はそうした目的で始まった。

    しかし計画を実行するだけの理由、根拠が乏しいことを、これまで何度も私は記事に書いてきた。一方で、齊藤さんが話す「計画の根拠はともかく、猫のせいにするなら、猫は山にいないほうがいい」という言葉にもうなずける。

    服部さんが作った譲渡型保護猫カフェには、奄美大島からやってきた猫(ノネコ)と、猫を愛する人(ボランティア)が集まり、わずか1年でみるみる拡大していった。

    ここに来た猫は、みんな幸せ。

    ボランティアの岩﨑さんが放った言葉が、心に響く。

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    笹井 恵里子(ささい・えりこ)
    ジャーナリスト
    1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。

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    譲渡型猫カフェ「ケット・シー」の店内の様子 - 撮影=笹井恵里子


    (出典 news.nicovideo.jp)

    むごいことは世の中山ほどあるけど・・・・・

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    (出典 tyugaku.net)


    お疲れ様です。

    1 ネトウヨ ★

    4月25日に3回目の緊急事態宣言が発令された大阪府。28日の定例会見で吉村洋文知事は、記者団から「この1年間何をしてきたか」との質問を受けた。

    会見では記者団が、政府に対する不満の声を紹介したうえで、「これは『この1年間、何をしてきたんですか?』という疑問かと。(知事は)この1年間を振りかえって、どのように考えますか」と質問。

    これに対し吉村知事は記者からの質問自体に対して、「こういった記者会見や日々のぶら下がりの会見でも、基本的に質問がなくなるまでやっている。1年間何してきたんですかって言われても、ここでずっとそのためにみなさんに公表もし、説明もし続けてきている」と反論。

    また、「感染がこれだけ増えてきているなかでは、不十分だという批判もあると思う。ですが、府の職員や専門家の意見を聞き、さまざまなことを判断し実行してきた」と、疲れた表情を見せた。

    毎日、感染者数や医療体制のひっ迫状況を公開し、情報共有している大阪府。「組織決定したことをできる限り明確に発信する責任がある。府民のみなさんには、どういう理由でその判断をとるのか、どういう根拠と考えの下でその政策をとるのか、今後もできる限り丁寧に説明したい」と話した。

    https://www.lmaga.jp/news/2021/04/255832/


    【(大阪)記者団「この一年間何をしたきたんですか?」吉村知事「ここでずっと説明もし続けている」】の続きを読む


    ウマ娘ブームは本物の「馬主」をも巻き込んだ。

    1998年皐月賞菊花賞を制したセイウンスカイ1992年桜花賞を制したニシノフラワーらを輩出した西山牧場の代表で馬主の西山茂行さんが「セイウンスカイニシノフラワーの墓参希望の話がいくつか来た」とツイートしたところ、ゲームファンにたちまちに拡散されたのだ。

    2頭とも、競走馬モデルにした「ウマ娘」がレースを走るアプリゲームウマ娘 プリティーダービー」に登場する。「墓参」の問いかけもツイッターバズったことも「ウマ娘」旋風の影響のようだが、「私の知らないところでどんどん話が広がって...」と話す西山さんを直撃した。

    「墓参できるか」と問い合わせが

    発端となった西山さんのツイート

    ウマ娘の影響だろうか。セイウンスカイニシノフラワーの墓参希望の話がいくつか来た。北海道西山牧場の入口にあります。墓参OKですので、事前に西山牧場育成センター事務所へ連絡ください。大歓迎します」

    というもので、2021年4月20日に2頭の墓の写真などを添えて投稿した。これが拡散され、23日時点で約1万6000リツイートに達した。西山牧場は北海道日高町にある。

    セイウンスカイ2011年没、ニシノフラワー2020年に没していて全盛期90年代、それがウマ娘の影響で若い世代にも知名度が広がっている。驚く西山さんは21日更新のブログでも、「ウマ娘」へのオファーについて、

    ダビスタの新しいバージョンみたいなゲームで、『セイウンスカイニシノフラワーを名前を使わせて欲しい。』との問い合わせがあり、『どうぞ、ご自由にお使いください。』と、何か使用契約書に判をついた」

    と振り返っている。

    改めて西山さんに話を聞くと、セイウンスカイニシノフラワーの「ウマ娘」へのオファーを受けたのは2020年の4月だった。当時「ウマ娘がどういうゲームか、詳しい知識はありませんでした」とのことで、オファーに許諾を出した後もそのまま過ぎていたが、ツイートの通りセイウンスカイニシノフラワーの「墓参」に興味を持つ人が現れた。

    まだ実際に北海道にある墓を訪れた人はいない様子とのことだが、「なかなか現地訪問が難しい状況かもしれませんが、ファンの方からのメッセージはいつでも大歓迎です」と話す。

    ニシノフラワーは「良家の子女」セイウンスカイは「やんちゃ息子」

    ウマ娘」のような美少女キャラクターが登場するゲームには無縁だったという西山さんは、牡馬も牝馬も「美少女化」されていることに驚きながらも、2頭についてこう語る。

    ニシノフラワーはいわば良家の子女でお嬢様、細い子だけれどものすごい美人。雨が嫌いで、調教がちょっとでも気に入らないと飼葉も食べない。繊細な子だけど、いざレースではものすごく強いんです。
    セイウンスカイニシノフラワーとは全然違う。やんちゃ息子で馬格もしっかりしているし、ゲートもなかなか入らない。それ以前にトレセンから競馬場に行くにしても馬運車に乗ろうとしない馬で、乗るのに30分、降りるのに30分かかるほどでした。何をするかわからない馬だけど、競走能力は高かった」

    そんな2頭が「ウマ娘」ではニシノフラワーは純朴な少女に、セイウンスカイは天真爛漫ながら賢い策士となった。

    こうしたムーブメントに西山さんは「もう四半世紀も前の馬の話に興味を持って、語り継いでいってくれるのは馬主としてただただうれしいです」と話しつつ、

    「今は2頭の孫たちが頑張っています。僕の頭の中にあるのは、明日の競馬をどうやって勝つか、何をしたらいいのか。過去の馬の思い出にひたっているだけじゃない」

    レースに勝つ意欲は健在だ。

    実はセイウンスカイニシノフラワーも、他のウマ娘を強化する「サポートカード」としてゲームに登場してはいるが、プレイヤーキャラクターを育てる「育成」対象としては未実装で、いつ育成対象になるかファンは注視している。実装後に2頭そして西山牧場への注目はさらに高まるだろうか。

    J-CASTニュース編集部 大宮 高史)

    西山茂行さん。ニシノフラワーが桜花賞を制した姿とともに


    (出典 news.nicovideo.jp)

    この記事の「セイウンスカイ・馬運車に乗るのに30分、降りるのに30分、何をするか分からない」ほのぼのする・・・

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     縄文時代に作られた土偶は、女性や妊婦をかたどったものだ、というのが多くの人の認識だろう。「そうではない」という驚きの新説を提唱したのが、人類学者の竹倉史人氏だ。では、土偶は何をかたどっているのか? その結論に至った過程と具体的な土偶の解読内容を前後編でお送りする。(JBpress

    JBpressですべての写真や図表を見る

    土偶(どぐう)とは縄文時代に作られた素焼きの人形。1万年以上前から制作が始まり、2000年前に姿を消した。現在までに2万点近い土偶が発見されている。なお、埴輪(はにわ)は、古墳にならべるための土製の焼き物。4世紀から7世紀ごろに作られたもので、土偶とは時代が異なる。

    (※)本稿は2021年4月に発行された『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(竹倉史人著、晶文社)より一部抜粋・再編集したものです。

     ついに土偶の正体を解明しました。

     こういっても、多くの人は信じないだろう。というのも、明治時代に土偶研究が始まって以来、このように主張する人は星の数ほどいたからだ。そういう人たちの話を聞くと、「土偶は豊饒の象徴である妊娠女性を表しています、なぜなら……」、「土偶は目に見えない精霊の姿を表現していて……」、「縄文人は芸術家です。人体をデフォルメしたのが土偶で……」といった「俺の土偶論」が展開される。こうしたすべての「俺の土偶論」に共通して言えるのは、客観的な根拠がほとんど示されていないこと、話が抽象的すぎて土偶の具体的な造形から乖離(かいり)していること、そしてその説がせいぜい数個の土偶にしか当てはまらないということである。

     土偶研究は明治時代に始まり、そこから大正、昭和、平成、令和と、じつに130年以上の歳月が経過した。それでも「何もわからない」ままであるから、アマチュアも入り乱れて「俺の土偶論」が侃々諤々、しまいには土偶=宇宙人説まで唱えられる始末――。ということで、いまさら「土偶の正体を解明しました!」などと口にしたところで、「オオカミが来た!」という虚言のようにしか響かなくなってしまったのである。

     130年以上も研究されているのに、いまだに土偶についてほとんど何もわかっていないというのは一体どういうことなのだろうか。

    縄文人でも妊娠女性でもない

     土偶の存在は、かの邪馬台国論争と並び、日本考古学史上最大の謎といってもよいだろう。なぜ縄文人は土偶を造ったのか。どうして土偶はかくも奇妙な容貌をしているのか。いったい土偶は何に使われたのか。縄文の専門家ですら「お手上げ」なくらい、土偶の謎は越えられない壁としてわれわれの前に立ちふさがっているのである。

     その一方で、世の中は空前の「縄文ブーム」に沸いている。土偶はまさに縄文のシンボルであり、イメージキャラクターでもあるのに、その肝心の土偶の正体がわかりません、というのでは形無しというほかない。世界に向けて縄文文化の素晴らしさを発信しようにも、その中核にあり、おそらくは土偶が最も体現しているはずの「縄文の精神性」を語ることができないのであれば、それはわれわれの知の敗北を意味するであろう。

     それでいいのか。いいわけがない。

     結論から言おう。

     土偶は縄文人の姿をかたどっているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。〈植物〉の姿をかたどっているのである。それもただの植物ではない。縄文人の生命を育んでいた主要な食用植物たちが土偶のモチーフに選ばれている。ただしここで〈植物〉と表記しているのは、われわれ現代人が用いる「植物」という認知カテゴリーが、必ずしも縄文人たちのそれと一致しないからである。

     私の土偶研究が明らかにした事実は、現在の通説とは正反対のものである。

     すなわち、土偶の造形はデフォルメでも抽象的なものでもなく、きわめて具体的かつ写実性に富むものだったのである。土偶の正体はまったく隠されておらず、常にわれわれの目の前にあったのだ。

     ではなぜわれわれは一世紀以上、土偶の正体がわからなかったのか。

     それは、ある一つの事実がわれわれを幻惑したからである。すなわち、それらの〈植物〉には手と足が付いていたのである。

     じつはこれは、「植物の人体化(アンソロポモファイゼーション、anthropomorphization)と呼ばれるべき事象で、土偶に限らず、古代に製作されたフィギュアを理解するうえで極めて重要な概念である。

     たしかに土偶は文字ではない。しかしそれは無意味な粘土の人形(ひとがた)でもない。造形文法さえわかれば、土偶は読むことができるのである。つまり土偶は一つの“造形言語”であり、文字のなかった縄文時代における神話表現の一様式なのである。

     そしてそこからひらかれる道は、はるか数万年前の人類の精神史へとつながっている。私の土偶の解読結果が広く知れ渡れば、日本だけでなく、世界中の人びとがJOMONの文化に興味を寄せ、そしてDOGŪというユニークフィギュアが体現する精神性の高さに刮目(かつもく)することだろう。

    土偶は人体をデフォルメしているのか

    「土偶は何をかたどっているのか」。そしてもう一つ「土偶はどのように使用されたのか」。土偶のモチーフや用途をめぐっては諸説あるものの、いずれも客観的な根拠が乏しく、研究者のあいだでも統一的な見解が形成されていないのである。

    「それが何か」わからないなりに、土偶についての“通説”のようなものは存在している。現在の通説を大まかにまとめれば、「土偶は女性をかたどったもので、自然の豊かな恵みを祈って作られた」ということができる。そして、実際これが世間に流通する最も一般的な土偶のイメージと言ってよいだろう。

     しかし、あらためてここで実際の土偶を見て欲しい(図1)。はたしてこれが女性の姿に見えるだろうか? 見えるかどうかという主観的な印象の次元以前に、頭部や四肢こそあれ、土偶の身体はそもそも人体の形態に類似していない。つまり、土偶=女性像という説明は、われわれの直感に反するのみならず、物理的な事実にも反している。

     それにもかかわらず、この無理筋な説明が多くの教科書に採用され、通説として社会に流通しているのはなぜだろう。それは、この説が「土偶は人体をデフォルメしている」というさらなる俗説によって補完されてきたからである。

    着想は突然やってきた

     土偶は人間女性をモチーフにしつつ、それを抽象化してデフォルメしたフィギュアであるから、土偶の多様なかたちには具体的な意味はない――。これは本当だろうか? こうした“通説”は、私には途方もなくデタラメなものに感じられた。土偶のかたちには具体的な意味があり、それは決してデフォルメのようなものではなく、土偶の様式ごとにそれぞれ異なる具体的なモチーフが存在しているのではないか――これが土偶を前にした最初の私の直感であった。

     土偶研究の始まりに際して、私は新しい仲間を迎えることになった。遮光器(しゃこうき)土偶のレプリカである。私が購入したのはレプリカとはいえそれなりに再現性のあるものだった(図2)。

     さて、遮光器土偶が自宅に届いてから一週間ほどしたある日のことである。東京国立博物館ウェブページで、私はあらためて遮光器土偶の高精細の画像を眺めていた。3000年近く前、東北地方に住んでいた人びとは、粘土を採取し、それを丁寧に成形し、体表に緻密な紋様を施し、焼成し、このフィギュアを製作した。いったい何をかたどり、何の目的のために? それは答えのない、それどころか手掛かりとなるヒントすらない、途方もない謎のように感じられた。

     ハイバックチェアにもたれかかり、私はPCの画面を眺めながら何度か深呼吸をした。すると不意に、私の脳裏にある植物のイメージが浮かびあがった。それはある根茎類の映像だった。次第に鮮明になっていく輪郭を追いかけていくと、その根茎類が目の前にある遮光器土偶レプリカの手足と重なるような気がした。私はハッとして椅子から起き上がり、ウェブで画像を検索し、実際にその根茎の画像を遮光器土偶の手足に重ねてみた。すると、根茎の描く独特な紡錘形のフォルムは、土偶の四肢とぴったりと重なったのである。

     この時、私は探していた“何か”が自分の目の前に現れたと感じた。すなわち、この根茎こそが、遮光器土偶がかたどっているモチーフなのではないか、という着想を得たのである。

    ほぼすべての文化で見られる植物霊祭祀

     私はある一冊の書物のことを思い出していた。19世紀末イギリスの人類学者ジェームズフレイザーが著した『金枝篇』である。

     私が特に注目したのはフレイザーが叙述している「栽培植物」にまつわる神話や儀礼である。植物の栽培には必ずその植物の精霊を祭祀する呪術的な儀礼が伴うことを、彼は古今東西の事例をあげて指摘している。

    「野生の思考」を生きる人びとにとって、植物を適当に植えるということはあり得ない。播種(はしゅ)が行われるのは単なる畑ではなく、植物霊が集う聖地だからである。一粒の小さな種が発芽し、伸長し、何倍もの数の種を実らせるのはまさに奇跡であって、精霊(生命力)の力と守護がなければ絶対に成就しない事業である。それゆえ播種にあたっては、植物の順調な活着と成長を精霊に祈願してさまざまな呪術的儀礼が行われる。

     古代人や未開人は「自然のままに」暮らしているという誤解が広まっているが、事実はまったく逆である。かれらは呪術によって自然界を自分たちの意のままに操作しようと試みる。今日われわれが科学技術によって行おうとしていることを、かれらは呪術によって実践するのである。

     呪術が科学技術より優先する社会において重要なのは、儀礼を通じて、自分たちが資源利用する植物の精霊と円滑なコミュニケーションをとることである。とりわけその食用植物が自分たちの食生活の中心となっていたり、交換財としての価値が高い場合には、「植えっぱなし採りっぱなし」ということはあり得ない。

     播種の春には歓迎会が開催され、人間界へ来訪する精霊たちをご馳走と歌舞でもてなし(予祝儀礼)、収穫の秋にはふたたび宴席を設けて当該シーズンの精霊の事業を顕彰し(収穫儀礼)、翌年の来訪を約束して盛大な送別会が行われる。

     こうしたことからも、「植物を成長させる精霊」という観念と「それを祭祀する儀礼」という事象が、植物栽培によって生命を繫いできたわれらホモ・サピエンスにとっていかに普遍的なものであるかがわかるだろう。フレイザーの『金枝篇』は、こうした植物霊祭祀の慣習と心性が、食用植物を重点的に資源利用するほぼすべての文化においてみられることを明らかにした人類学の古典なのである。

    植物食依存はすでに縄文中期から

     かつての通説では、縄文文化から弥生文化への移行の説明として、「狩猟採集の縄文時代」から「水田稲作の弥生時代」へ(「肉食中心」から「植物食中心」へ、「採集」から「栽培」へ)シフトしたと説明されることがもっぱらであった。ところが、近年の考古研究の進展によって、この図式が不正確であったことがすでに判明している。

     縄文遺跡の発掘数の増加だけでなく、花粉分析やプラントオパール(植物珪酸体)分析、土器圧痕レプリカ法、デンプン分析、種実分析といった、電子顕微鏡を用いた理化学的な植物遺体の検出・同定技術の向上、さらには縄文人骨のコラーゲン分析の結果などによって、北海道を除く東日本では、すでに縄文中期(およそ5500年前)あたりから、縄文人が従来の想定よりもはるかに植物食に依存していた実態が浮かび上がってきたのだ。

     しかもかれらは単なる採集(gathering)だけでなく、ヒエなどの野生種の栽培化(domestication)、里山でのクリ林やトチノキ林などの管理(management)、マメ類の栽培(cultivation)などを行っていたことも判明しつつある。

     さて、そうなると一つの重大な疑問が湧き上がってくる。

     縄文時代にはすでに広範な食用植物の資源利用が存在していた。しかも地域によっては、トチノミなどの堅果類を“主食級”に利用していた社会集団があったこともすでに判明している。ということは、そうした植物利用にともなう儀礼が行われていたことは間違いないのであるが、なぜか縄文遺跡からは植物霊祭祀が継続的に行われた痕跡がまったくといっていいほど発見されていないのである。一方、それとは対照的に、動物霊の祭祀を行ったと思われる痕跡は多数見つかっている。

     ではなぜ、最重要と思われる植物霊祭祀の痕跡は見つかっていないのだろうか。

    「植物霊祭祀の痕跡が見つかっていない」のではなく、本当はすでに見つかっているのに、われわれがそれに気づいていないだけだとしたらどうだろうか。

     実はこれこそが私の見解なのだ。

     つまり、「縄文遺跡からはすでに大量の植物霊祭祀の痕跡が発見されており、それは土偶に他ならない」というのが私のシナリオである。このように考えれば、そしてこのように考えることによってのみ、縄文時代の遺跡から植物霊祭祀の痕跡が発見されないという矛盾が解消される。

     後編では9種類の土偶タイプについて行った、解読作業の具体例を紹介する。(4月25日公開)

    ※『土偶を読む』刊行記念トークイベントのお知らせ
    2021年5月12日 19:00
    竹倉史人 × 武富健治、司会 = 堀内大助
    https://genron-cafe.jp/event/20210512/

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    (出典 news.nicovideo.jp)

    「宇宙人に見える」のはわたくしだけでしょうか?

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    努力は報われる?

    努力は報われる?

    努力は必ず報われるか?」という質問にどう答えるか。おそらく、努力が報われた経験を多く持つ人は「はい」と答え、絶対に報われたい場面で努力に裏切られた経験を持つ人は「いいえ」と答えるのではないだろうか。

    神奈川県の40代女性は「努力が報われない人のほうが多いはず。努力が報われた人は『ラッキーなだけ!報われて良かったね』といつも思う」と綴り、

    スポーツ選手の『練習は裏切らない』という台詞も嫌い!血ヘドを吐くほど努力している人は山ほどいるけど、大半は報われないから。努力が報われる選ばれし者は、ある意味、才能!みんながみんな報われるなら、誰も不幸にはなっていないはず」

    と切実な胸の内を明かしている。(文:大渕ともみ)

    受験に失敗した女性「必死に頑張っても目標を達成できないことはあります」

    20代の女性は「必死に頑張っても目標を達成できないことはあります」と語る。なぜなら受験に失敗し、滑り止めの大学に進学した経験を持つからだ。「悔しい思いで大学生活を過ごしました」というが、振り返ってみると悪いことばかりではなかった。女性は

    「そこで何ができるかを考えながら必死に勉強をしたので、首席で卒業できました。結果的に、その大学に来てよかったと思います」

    と打ち明ける。さらに、「受験に失敗したからこそ、今の自分がある」といい、「努力は後悔しない人生を送るための、一つの行動に過ぎないと思います。報われるというよりも、次のステップのための通過点」と持論を述べた。

    「まずは『努力をしないと始まらない』という思いで、4月からの新社会人生活も頑張りたいと思います」

    と力強く決意を述べる女性。”努力は必ず報われると信じる人”は、”報われるまで努力を続けられる人”なのかもしれない。

    「努力は成功を保証しませんが、最低限、必要な条件です」

    奈良県の50代男性は「努力は成功を保証しませんが、最低限、必要な条件です」と主張する。また、「努力は量よりも方向のほうが大事です」とも付け加えた。

    「努力しても伸びない場合には、量を増やすだけの”安易な努力”をしているのではないでしょうか。私は治療院を経営しています。以前、『努力しても伸びない』という剣道の選手がいらっしゃいました。彼は素振りの回数を増やすばかりで、今までやっていたことを変えず、努力の量を増やしているだけだったのです」

    そこで、男性が「いろいろな振り方を試す」「動画で相手の動きを研究する」など努力の方向性を提案したところ、選手は「伸び始めた!」と喜んだという。

    「私自身、開業初期は『腕を上げる』ことだけに集中していて、経営がうまくいきませんでした。マーケティングや心理学など、幅広い知識を得る努力をしてから、経営が回るようになっていきました。報われたいのなら、視界を広げ、しっかり考える方向での努力が欠かせないと思います」

    努力が報われる人は”量”にこだわらず、さまざまなやり方で試行錯誤を繰り返す傾向にあるようだ。

    ※キャリコネニュースでは引き続き
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    「努力は必ず報われる」は本当なのか 「“練習は裏切らない”という言葉が嫌い」「努力の量よりも方向が大事」などの声


    (出典 news.nicovideo.jp)

    努力が報われなかったと思う人は、努力が足りなかっただけかも。

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