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    2021年05月


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    ドイツで2022年より選別後のオスのヒヨコの殺処分が禁止に

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     ドイツは、養鶏業におけるオスのヒヨコの大量殺処分禁止令を制定する最初の国となったようだ。長年議論の続いているこの習慣を廃止する法案を、政府がついに承認したのだ。

     閣議決定されたこの法案によると、2022年から、オスのヒヨコの大量殺処分を禁止するという。ユリア・クレックナー農相はの声明で、「動物福祉のための重要な第一歩」と話した。

     ドイツでは2019年、殺処分以外の代替案が見つかるまでは、オスのヒヨコを選別して殺すことを合法との裁定が下されたが、動物愛護先進国として反対の声も多く上がっていた。

    【政府が卵の段階でオスかメス化を見極める技術に投資】

     多くの養鶏現場では、オスのヒヨコは孵化してもすぐにメスと分けられて、高速粉砕機やガスで処分されてしまう。その理由は、オスは卵を産まないし、あまり食肉として適していないからだという。

     ドイツでは、毎年数千万羽のオスのヒヨコが殺処分されている。

     動物愛護先進国となるべく活動をしているドイツの人々は、この大量殺処分の習慣をやめるよう訴えていたが、養鶏業者側は、残酷でなく実用的で、手軽な価格で利用できる代替案がないと訴えてきた。

     だが、政府によると、卵が孵化する前に雌雄を見分ける方法はあるという。

     ドイツの企業が開発した技術は、レーザーを使って受精卵の殻に小さな穴をあけ、中の液体を採取して、雌性ホルモンがあるかどうかを調べる方法だ。

    「代替技術のために数百万ユーロを投資して、ドイツの地で動物福祉と経済効率を両立させています」クレックナー農相は言う。

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    2022年までにオスのヒヨコの殺処分を禁止

     農相は、ドイツがこの手段を採用する世界初の国になるとし、他国のためにもペースを作り、ロールモデルになりたいと述べている。

     この法案によって、2022年までにオスのヒヨコの殺処分を禁止し、2024年からは、養鶏業者に対しては、孵化していないヒヨコが痛みを感じることがないよう、孵化の早い段階で効果的に処分する方法を導入することが求められる。

     ドイツ養鶏協会は、この法案は問題の部分的な解決にすぎず、ドイツの養鶏業者にはかり知れない競争上の不利益をもたらすことになると主張する。

     協会は、オスのヒヨコの処分を段階的に廃止していくことは歓迎するが、法案がヨーロッパ全土で適用されないのは重大な欠陥だと述べている。

     尚、この法は、連邦議会下院に承認されることで制定されることとなる。

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    photo by iStock

    ヨーロッパでのオスのヒヨコ殺処分に対する動き

     2020年1月、ドイツフランス2021年末までにオスのヒヨコの殺処分を廃止するために協力することを約束した。

     フランスのディディエ・ギヨーム農相は、フランスでは2021年末から、殺処分行為を禁止することを確約している

     スイスでは2020年、生きているヒヨコを粉砕機にかけることを禁止したが、ガスでの殺処分はまだ許可している。

     2019年6月の時点では、ドイツの裁判所は、孵化前の胚の性別を判定できる方法が見つかるまでは、殺処分を続けることができるという判決を下した。

     2009年に制定されたEUの法令では、生後72時間以内のひよこを"即死"させる場合に限り、粉砕機での殺処分を認めている。

    References:Germany approves draft law to end mass culling of male chicks | Germany | The Guardian / Germany bans male chick culling from 2022 | News | DW | 20.05.2021/ written by konohazuku / edited by parumo

     
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    世界初、ドイツでオスのヒヨコの大量殺処分が禁止に。2022年より実施


    (出典 news.nicovideo.jp)

    テレビで選別するところを見たことがある。え~~~だった。

    <このニュースへのネットの反応>

    【【ドイツ】2022年から雄のヒヨコの大量殺処分を禁止する、最初の国になった。】の続きを読む


     「絵が描ける」ことと「デザインができる」ことは違う――そう図解したイラストが「わかりやすい」「本当にこれ」と反響を呼んでいます。

    【その他の画像】

     イラストレーターの本山とらじろうさんが投稿。絵とデザインは別の技術が求められるため、「絵が描ける」=「デザインができる」ではない、と説明しています。絵が描けてデザインもできる「神」もいるにはいますが、「まれ」な存在。

     さらに「絵が描ける」の中でも「イラスト」「漫画」「絵画」「広告向きのイラスト」とさまざまに分野が分かれ、デザインも服、グッズ、文字……など多様なジャンルがあります。絵が描ける、デザインができるといっても、どんなジャンルでもこなせるとは限らないのです。

     投稿は反響を呼び、絵やデザインに関わる人からの共感も多く寄せられています。「絵を描くのとかは好きだけど、デザインはできません!」「畑が違うと全く出来ない」「デザイン苦手なのに絵は描けるんですか!? ってびっくりされる」というコメントや、「打ち合わせの度に大きく貼り出しておきたい」「上司に見せたい」と周囲の誤解を防ぎたい人の声も。

     また「神になりたい」と野望を掲げる人や、レオナルド・ダ・ヴィンチなど神領域のアーティストを挙げる人もみられました。

    画像提供:本山とらじろうさん

    「絵が描ける」=「デザインができる」ではない


    (出典 news.nicovideo.jp)

    絵がかけてデザインもできる人います。

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    【【趣味】「絵がかける」と「デザインができる」は違うということを図解したイラストが反響】の続きを読む


     イラストレーターマンガ家のなかきはら あきこ(@nakakihara_hibi)さんは、新人研修の最後に社長が話したことが忘れられないと言います。そのエピソードを描いたマンガに、多くの人が共感を寄せていました。

    【画像】漫画を読む

     なかきはらさんが新卒で就職したのは、小さなデザイン会社。新入社員は2人だけでしたが、社長みずから新人研修を行いました。

     1カ月後、新人研修が終わろうとする時、社長は「1年経ってスグ後輩が入ってくると思うんだけど」と前置きしてから2人に問いかけます。「なぜパワハラはしてはいけないんでしょう」。

     「入社したばかりなのにもう来年の話!?」と戸惑うなかきはらさんですが、同僚はパワハラをしてはいけない理由として「人を雇うのにお金がかかり、スグ辞められると会社にとって損失だから」とばっさり。

     社長はそれも「正解」としつつ、自らの考え方を語ります。どんな優秀なトップクリエイターでも、歳を取ったら若い人に追い越される日が来るが、そうなった時、人間的に尊敬できないとその人について行こうとは思えない。後輩や部下と人間関係を作れないと自分の首をしめることになるのだと。

     予想外の答えに、驚きつつも納得するなかきはらさん。社長の「どんどん仕事して私を追い抜いてね!」という力強い言葉に、同僚とともに元気に「はい!!」と答えるのでした。

     投稿された漫画には、「素敵」「見習いたい」など、上司に賛同を示すコメントが多数寄せられていました。また、職場の環境や人間関係の大切さという視点から共感する人も。

     力関係を利用したパワハラは、言うまでもなく悪い行為です。しかし、忙しく働く中で余裕がなくなると、無自覚にきつい言葉を使ってしまいがちな人もいるでしょう。心の中に社長のような視点があれば、自分をコントロールするのに役立つかもしれません。

     この作品は、なかきはらさんがマンガ大賞「仕事探しはスタンバイ」に応募した作品。働いた経験から描いたエピソードを募集するコンテストとなっています。

     なかきはらさんは、出産・育児や、自分で夢をつかみに行った高校受験についてなど、さまざまなテーマの漫画を投稿しています。

    社長の出した答えとは?


    (出典 news.nicovideo.jp)

    入社して一か月でパワハラされたら、やめるかな?

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     交通事故に遭った少年が剣と魔法の世界に生まれ変わり、英雄として大活躍する一方で、現世では何が起きているのでしょう? そんな視点で描かれた異世界転生漫画「残された世界」が心に痛く刺さります。作者は漫画家の平沢ゆうなさん。

    【画像】漫画を読む

     イケメンの剣士に生まれ変わった主人公は、「俺もチートで人生勝ち組」と大喜び。転生するなり魔物に遭遇し、ユニークスキル「閃光を引き裂きし閻魔の剣撃(ダークフォースエクスカリヴァー)」で一蹴します。

     その強さに、異世界の住人はすっかり心酔。多くの女性にも慕われて、主人公は上機嫌です。

     ……という全能感あふれる場面から、漫画は突然病室へ。植物状態一歩手前の重体で横たわる“現世の”主人公と、その母親を描き出します。これまでの活躍は、遠い意識の中で見た幻……?

     医師によると、主人公の脳には回復の可能性はあるものの、長期治療が必要。交通事故とはいえ過失は双方にあり、莫大な入院費をまかなえるほどの保険は下りないというのです。

     それでも息子を救いたい母親に、医師は費用を捻出するための“ある契約”を提案します。さらに転がっていく物語の行く末は、ぜひ本編でご覧ください。

     Twitterで「今度から、異世界転生ものの見方が変わりそう」「共感とやるせない気持ちの混ざった複雑な感情になった」「異世界転生ものにいつも感じていた『現世もっと大切にして』が描かれていて好き」などと評されたこの漫画。作者は“行きっぱなし”な近ごろの転生ものを、少し憂いていると述べています。

    転生した異世界で無双する少年、このとき現実の世界では……


    (出典 news.nicovideo.jp)

    異世界転生の漫画が流行ってるんですかね?

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    薬物依存患者の半数は、違法薬物ではなく処方薬の依存症を抱えている。精神科医の松本俊彦氏は「ベンゾジアゼピン受容体作動薬などの処方薬の依存症は治療がむずかしい。精神科医の気軽な処方が患者を増やしている」という――。(第2回/全2回)

    ※本稿は、松本俊彦『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』(みすず書房)の一部を再編集したものです。

    ■精神科医がやってしまいがちな「ドリフ外来」

    以前、尊敬するベテラン心理士からこういわれた。

    「精神科医は薬を出すから、いつまで経っても心理療法がうまくならないのよ」

    彼女はいつも精神科医に手厳しいが、このコメントもその例に漏れなかった。私は、「ですよねえ……」と曖昧(あいまい)に濁すほかなかった。

    たしかにその通りだったからだ。「では、お薬を調整しておきますね」「お薬を追加しておきましょう」――こういった言葉で、出口の見えない診察室でのやりとりを強制終了する。問題は何も解決していない。

    医師として前向きな姿勢を失っていないことを患者に示しつつ、ただ時間稼ぎをしているだけだ。そんなやりとりをこれまで何百回、いや何千回も行ってきたことか。

    かつて私は、わが国の精神科医療をこう評したことがある。曰く、「ドリフ外来」。つまり、「夜眠れてるか? 飯食べてるか? 歯磨いたか? じゃ、また来週……」といったやりとりで、次々に患者を診察室に呼び込み、追っ払う。そのありさまを、ドリフターズの『8時だョ! 全員集合』のエンディングのかけ声になぞらえたつもりだった。

    これは批判であると同時に自虐でもあった。弁解を許してもらえば、何もすべての患者にそうしているわけではないのだ。

    日に50人診察するとして、そのうちの何割を「ドリフ外来」的にサクッと捌(さば)けるかで、その日の診療で重症者にどれだけ時間とエネルギーを割けるかが決まってくる。だから、患者によって緩急つけながら自分の外来診療を進めていくのは、業務マネジメント上、やむを得ないことなのだ。

    とはいえ、これは容易ではない。

    ■つい口に出てしまう「お薬を調整しておきましょう」

    医師にとってはその日の50分の1の相手だとしても、患者にとって主治医は一人だ。

    しかも、2~4週間という期間待ちつづけ、期待を膨らませて診察にたどり着いている。それなのに、こちらが平均的な再診患者に割くことのできるのは5~10分だ。患者が抱えている問題の多くは未解決のまま先送りとなる。

    そんなとき、今日のところは矛を収めてもらおう、いったん兵を引いてもらおうとして、つい口に出てしまう言葉が、「お薬を調整しておきましょう」なのだ。たとえるならばそれは、激しい連打に耐えかねたボクサーが反射的にしてしまうクリンチに似ている。

    断言できることがある。おそらく私は薬をいっさい処方しない精神科医にはなれない。もちろん、できるだけ無駄な処方は避けるべきだと思っているし、そもそも、薬物依存症治療が専門である以上、患者に薬を出すよりも薬をやめさせることのほうが多い。

    しかしそれでもやはり、まったく薬を使わないことはできないと感じているのだ。なぜか。

    ここからはじめよう。処方薬の話だ。

    ■“薬物依存”の半数は処方薬に対する依存が占めている

    精神科医としてどんな患者が一番好きかと問われたら、私は迷うことなく「覚せい剤依存症」と答えるだろう。

    決して犯罪行為を肯定するつもりはないが、法の一線を越えた彼らには、アルコールや処方薬、市販薬の依存症患者にはない独特の潔さ、すがすがしさがある。

    およそ10年前、私は、「覚せい剤依存症?」と表情を曇らせる病院幹部の懸念をよそに、現在の所属施設で薬物依存症専門外来を開設した。その理由は、まさに「思う存分、大好きな覚せい剤依存症患者を診たい」との思いからだった。

    しかし、実際に診療を始めると、いささか期待外れな事態に直面した。というのも、たしかに多くの覚せい剤依存症患者が受診してくれたものの、それは全体の半分にすぎなかったからだ。

    残りの半分は、処方薬(その大半は、エチゾラムフルニトラゼパム、トリアゾラム、ゾルピデムといった、ベンゾジアゼピン受容体作動薬として分類される睡眠薬抗不安薬だ。ここでは略して「ベンゾ」と呼んでおきたい)の依存症患者だった。

    当時、ベンゾ依存症患者は薬物依存症外来の新興勢力であり、「わが国伝統の乱用薬物」である覚せい剤の依存症患者と比べると、さまざまな点で違っていた。

    たとえば、学歴が高く、犯罪歴を持つ者が少ないなど、一般の人と変わらない生活背景を持ち、何よりも、薬物依存症とは別に、うつ病や不安障害といった精神障害を併存する者がとても多かった。

    もっとも注目すべき特徴は、依存形成の心理機制(*)だった。

    (*)編集部註:受け入れがたい状況になった場合に、そのことによるストレスを軽減しようとする無意識的な心理メカニズム。

    ■「苦痛の緩和」を求めるベンゾ依存症患者

    覚せい剤依存症患者の多くは、「刺激を求めて」「(友人や恋人に)誘われて」など、刺激ないしは快楽希求的な動機、あるいは、人との親密な関係を契機として乱用を始めていたのに対し、ベンゾ依存症患者は、「不眠や不安を軽減するために」「抑うつ気分を改善するために」といった意図から、単独で使いはじめているのが特徴だった。

    このことは二つの重要な事実を示唆していた。

    一つは、ベンゾ依存症患者は決して「快感」を求めて薬物を乱用しているのではなく、あくまでも「苦痛の緩和」を求めて薬物を乱用している、ということだった。

    これは、たとえ快感を引き起こさなくとも、苦痛緩和の作用さえあれば、人は依存症に罹患しうることを意味する。いや、快感ならば飽きるだろうが、苦痛緩和となると飽きるわけにはいかない。自分が自分でありつづけるためには手放せないものとなる。

    もう一つは、この「苦痛の緩和」をしてくれる薬物を最初に提供した人物が、しばしば精神科医である、ということだった。事実、私の調査では、ベンゾ依存症患者の84パーセントは、併存する精神障害の治療を受けるなかで依存症を発症していることがわかっている。

    これは悩ましい問題だった。というのも、医師のミッションはいうまでもなく患者の苦痛緩和にあるが、そのミッションに忠実であろうとする善意が患者を依存症に罹患させることを意味するからだ。

    依存症に陥る機制はさておき、ベンゾ依存症患者の治療は実に手がかかる。覚せい剤依存症患者の少なくとも倍は手がかかるといってよいだろう。

    理由は三つある。

    ■自己判断で中断すれば重篤な離脱症状を起こすことも

    第一に、併存する精神障害のせいで、いっさいの精神科治療薬をやめるという選択肢がとれないことだ。

    通常、ベンゾを比較的依存性の低い別の薬剤(抗精神病薬抗うつ薬)に切り替えて精神症状をコントロールすることを試みるが、副作用の問題からそれがむずかしいこともある。そうした場合、ベンゾを規定用量内まで減らしたうえで、医師の管理下で継続服用をさせるという選択肢をとらざるを得ない。

    その治療目標の奇妙さは素人でもわかるだろう。たとえば、アルコール依存症患者に「焼酎はやめてビールだけにしなさい」と、そして、覚せい剤依存症患者に「覚せい剤は注射で使わないで、アブリ(加熱吸煙)で使うようにしなさい」と指示する治療は想像できるだろうか。

    けれども、ベンゾではときとしてそれをやらないといけないのだ。

    第二に、入院が必要ということだ。意外に思うかもしれないが、典型的な覚せい剤依存症の治療は、外来通院だけでこと足りる。

    覚せい剤には離脱症状がほとんどないからだ(その分、なかなか「懲りない」という問題はあるが)。ところが、ベンゾは連用で耐性が生じやすく、乱用期間が長いケースでは、急な中断により重篤な離脱症状を呈しやすい。

    ■12カ所の通院先を抱える「薬中心の生活」

    実際、典型的なベンゾ依存症患者は、ベンゾの錠剤を、それこそ「FRISK」感覚で日に数十錠も口のなかに放り込む生活を送っている。もしもこの状態にある人が自己流で断薬すれば、かなりの確率でてんかん発作のように危険な離脱が出現するはずだ。

    だから、減薬は入院してもらい、医学的管理下で行わなければならない。具体的には、これまで服用していたベンゾと同じ量を、もっと血中半減期の長い、「切れ味の鈍い」ベンゾで置き換え、しかもすべて散剤化して、小刻みかつ慎重に減量していくことになる。

    そして最後に、ほかの医療機関との調整をしなければならないことだ。典型的なベンゾ依存症患者は、平均して12カ所の通院先を持っている。週3回異なる医療機関に受診し、その都度1カ月分の処方を受け、翌週はまた異なる医療機関3カ所だ。それをひと月に4セットくりかえす。それはそれで多忙な、文字通り「薬中心の生活」といえよう。

    ■時間も手間もかかるベンゾ依存患者の治療

    入院期間中に、そのような「売人」的医療機関と縁切りをしておくことはきわめて重要だ。入院中にせっかく減薬しても、退院後に再びそうした医療機関で処方を受けてしまえば、それこそ元も子もない。

    そのような事情から、患者に入手元の医療機関名を教えてもらい、患者の許可を得て、「当該患者はベンゾ依存症で現在治療中です。今後は受診しても絶対にベンゾを処方しないでください」と、医療機関にお願いの手紙を出すのだ。

    外来で処方できる規定範囲の量まで減薬ができたら、そこでようやく治療の場を入院から通院へと移すことができる。処方は依然として散剤のままだが、通常、乳糖粉末で薬袋を膨らませ、過量摂取しにくい工夫を施し、さらにゆっくり減薬していくことになる。

    このような具合に、ベンゾ依存症の治療は細々と手がかかる。ちなみに、ベンゾ依存症治療を数多く手がける知人の依存症専門医は、こうした減薬治療のことを「ベンゾ掃除」と呼んでいた。その際、彼が見せたうんざりしたような表情はいまでも記憶のなかで鮮明だ。

    ベンゾ依存症患者は、2000年以降、薬物依存症臨床の場で目立ちはじめたが、この世紀の変わり目の年は、精神医学にとってさまざまな意味で分岐点であったと思う。

    ■「うつは心の風邪」が変えたもの

    一つは、新しい抗うつ薬の登場だ。1999年に最初の選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)であるフルボキサミンが、そして続く2000年にはパロキセチンが国内上市された。従来の三環系抗うつ薬に比べて副作用が少なかったことから、精神科医はそれまでよりも気軽に抗うつ薬を処方できるようになった。

    それから、すでに多くの識者が指摘している通り、製薬会社による、「うつは心の風邪」というキャッチコピーを用いた新薬プロモーションは、人々の精神科受診に対する抵抗感を緩和し、確実に精神科医療ユーザーの裾野を広げたことは想像に難くない。

    新しい抗うつ薬とベンゾ問題とを関係づけるのは奇妙に感じられるかもしれないが、抗うつ薬とともにベンゾを処方するという精神科医療の古い慣習が無視できない影響を与えていたと思う。

    ともあれ、こうした変化は、依存症外来におけるベンゾ依存症患者を増加させただけでなく、救命救急医療現場における過量服薬患者を増加させて、精神科医は救命救急医から顰蹙(ひんしゅく)を買うこととなった。

    というのも、過量服薬患者のほぼ全例が精神科通院中だったからだ。実際、私は、ある救命救急医からこう吐き捨てるようにいわれたことがある。「私は精神科患者が嫌いだが、精神科医はもっと嫌いだ」

    ■時代の変化に後れをとった精神医学の現場

    精神科医は明らかに時代の変化に後れをとっていた。精神医学の中心的疾患は依然として統合失調症であり、それゆえに治療論はともすれば、「まずは薬物療法」だった。

    そのような臨床現場では、精神科医の腕の見せどころは、病識を失い、被害妄想の影響で極端に猜疑(さいぎ)的になっている統合失調症患者に、決して強制ではなく、説得によって服薬に応じてもらう場面だった。

    だから、駆け出しの精神科医は、郊外の精神科病院で統合失調症治療の修行をし、「薬を飲ませる技術」を磨くことに専心したわけだが、その熱意に比べると、薬物のやめ方には驚くほど無関心だった。

    それはおそらく、統合失調症は慢性疾患であり、治療薬の服用は生涯継続されるべきという考え方を、多くの精神科医が無邪気に信じていたせいだろう。

    そして世紀の変わり目が近づくころ、修行を終えた精神科医たちが、郊外の精神科病院を抜け出して、大挙して都市部駅チカにパラシュートで降り立ち、「メンタルクリニック」という店を開きはじめたのだ。

    しかし不幸にも、すでに彼らの技術は患者の病態にマッチしなくなっていた。外来に押し寄せた患者は、統合失調症患者ではなく、これまで精神科医療にアクセスしてこなかった層だったからだ。

    その多くは、仕事の問題、家族関係の問題、込み入った恋愛の悩みなど、薬だけでは解決できない問題を抱えていた。そこで医師が、自慢の「薬を飲ませる技術」だけを発揮したならば、どのような結果になるのか――それは推して知るべしというほかない。

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    松本 俊彦まつもと・としひこ)
    精神科医
    国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部部長 兼 薬物依存症治療センターセンター長。医学博士。1967年生まれ。93年佐賀医科大学医学部卒業。横浜市立大学医学部附属病院などを経て、2015年より現職。近著に『薬物依存症』(ちくま新書)がある。

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    ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu


    (出典 news.nicovideo.jp)

    日本はカウンセリングが充分ではない。アメリカでは患者一人にカウンセラーが付くらしい。

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