「あんた、頭おかしいんじゃないの?」子どもに“性別への違和感”をカミングアウトされた母親の壮絶な反応 から続く
LGBTQに関する研究や講演活動を行う傍ら、障害者の就労移行支援を行っている勝又栄政さん(31)が、生まれた時に割り振られた性別は女性だった。幼少期から性別違和に悩まされ、現在ではトランスジェンダー男性であることをカミングアウトしている。
ここでは、そんな勝又さんの半生を本人と母の双方の視点で綴った『親子は生きづらいー“トランスジェンダー”をめぐる家族の物語』(金剛出版)から一部を抜粋。当時大学3年生だ
った勝又さんは、親にカミングアウトして相談したにも関わらず、希望している乳房の切除手術やホルモン治療をまだ受けられていないことで思い悩み、就職活動への不安を募らせていた……。(全2回の2回目/続きを読む)
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女での就職か? 男での就職か? 大学3年の秋。就職活動の開始は目前だった。なんやかんやで、もうカミングアウトをしてから1年半。結局、手術などの具体的な話は一向に進まないまま、この時期が来てしまった。
ここまでいろいろやったけど、結局、身体も戸籍も女のままで、正直どのように就職活動を進めていったらいいかわからなかった。
ひとまず、大学で開かれていた就職活動に向けてのセミナーなどに参加をした。
「挨拶は胸を張って! お辞儀は45度に」など、まるで兵隊のように、みんなで立ち方やお辞儀の角度など練習したりした。この「胸を張る」という動作も、胸が強調される動作だったの
で、すごく嫌だった。正確に言うと、胸を張ること自体は、やったっていい。背中が丸まってだるそうに見えるのは良くないと思っていたから。でも、「胸がある」と一瞬でも感じるのが嫌でどうしてもやりたくない。
また、セミナーの中には、決まって「女子学生限定! メイクアップ講座!」なんていうものがあった。もちろん行く気なんてない。でも行かなかったら、非常識だと思われて、就職な
んかできないのかという恐れも強く感じた。でも、そこに行けば自分は「女子学生」になってしまう。だからといって、男子学生のセミナーに足を運ぶのも周囲の目が気になり、勇気が出なかった。もう、自分ではどうしたらいいのか、わからなかった。
細かいことでいちいち揺れ動く気持ちが苦しかったけれど、以前親と衝突した時に、大学の先生には何度も泣きついて相談できていたこともあり、就職の相談も一応先生にすることができたので、それだけは救いだった。
「就職するのに、カミングアウトしてだと難しいですかね?」僕は先生に質問した。
「前例がないからわからないね……でも、まずは女性で入って、実力が認められてからの方がいいようにも思うよ。まぁそれが勝又君にとって良いかはわからないけど……」
こっちもわからないから相談しているのだけど、誰からも「わからない」しか返ってこない。当たり前なんだろうけど、大人がわからないなんて、こっちはもっと不安だよ。ネットの
情報を見る限りでは、カミングアウトをして面接で落とされたという情報しか流れていない。正解らしきものすら、僕には見えなかった。
いろいろ考えたけれど、結局女性として生きることの方が辛いと考えた僕は、カミングアウトをして就職活動をする決意をした。ただ、カミングアウトをして就活すると決めたとはい
え、カミングアウト自体に慣れているわけでもなかった僕は、人に自分のことを話すことがとてつもなく怖かった。誰に対しても、話しながら震えてしまっていて、就職先でうまく説明できる気はしなかった。
自信もないまま、いざ就職説明会。腰回りの窮屈な男性用のスーツ(骨盤は女子なので男性用のスーツは小さく感じる)を身にまとい、企業のブースへ向かう。説明会後、人事の人に自
分の事情を説明して、「性同一性障害でも、実際、就職などできるのでしょうか?」と質問をして回った。そもそも「性同一性障害」という名称すらほとんどの人が知らなかったので、説
明するのも大変だった。ほとんどの人が、「前例がないから、わからないですね。とりあえず応募してみてください」という感じだった。
なかには「正直なところを言えば、僕だったら取らない。よくわからなくて対応もできないから」と答える人もいたが、そう正直に現実を言われるのは逆に優しいのかなとも思った。きっと体裁上、断ったらまずい、と思う人も多いように感じたから。
でも、きつかったのは、「んー、だから何? あなたが会社に何してくれるか、あなたが何したいかだけでしょ。ここで何したいの? 何したいとかないなら、普通に考えて、男だろう
が、女だろうが関係ないよね? やりたいとかできることがないなら、わざわざ取りませんよ」という反応。言いたいことはわかる……けど、僕からすれば、それは順番が逆だと思う。
僕は、あなたの言う、その“関係ない”ことによって自分の「やりたい」も表現できない状態で、ずっと自分の感情を押し殺してきた。日常の「辛い」から逃れたい以外に、何の感情もない。今が辛いのに「やりたい」なんて、生まれないよ。
でも、そんな個人的に戦っている経過なんて誰も見ないことも知ってる。「今のあなたには何ができるの? 何がしたいの?」だけ。きついけど、それが現実だとは思った。きっと、普
通の人は、この時期に「○○したい」とかいう夢のようなものを持って、いろいろ説明できるんだろうな……。
親にカミングアウトした時に、オカンが「あんたはそんな子どもみたいなことしか話せないのね」と言った時の顔がふと浮かぶ。普通の人から、僕は、はるかに劣っているのだと思った。
なかには「いろいろ大変だったね」と声をかけてくれる企業の人もいた。その瞬間、涙がたくさん出てきてしまって、他人の一言一言でこんなにも浮き沈みする自分が、世の中で生きていける気は全くしなかった。
ただ、カミングアウトして就活をしたうちの数社は面接が通ったところもあった。ある企業では、最終面接まで行き「もし入社する場合は、女性の寮に3カ月入って研修など受けなけれ
ばならないのだけど、大丈夫かな? 今の制度だと、更衣室やトイレなども女子のを使ってもらうしかできないと思います。ただ、カミングアウトまでして進んできたあなたには、信念が
あるように感じるから、この判断はあなたの信念を曲げるような気がするのだけど……」
一瞬、顔をしかめてしまい、即答ができなかった。それでも、こんな自分のような身分で、待遇なんてかまってられないのも事実。すぐに「大丈夫です」とは言ったけれど、結果は不採
用だった。もちろん、理由は更衣室だけじゃなくて、制度を変えてまで取りたいと思われるほどの人材に僕がなっていなかったからだと思う。人より何倍も優れてなきゃ、こんな身分の僕
に、誰も振り向いてはくれないだろう。それは納得だった。とにかく努力が足りてないんだと思った。
どーしたら良いのか。どんな就職先だったら良いのか。就活をしながらも、その答えは見えなかった。
そんな就活で悩んでいる真っ只中、兄の古くからの友人が家に遊びに来た。一緒に話をしている中で、「美穂(編注:改名前の勝又さんの名前)ちゃんも、もう就活の時期だよね? どうするのー?」と聞かれた。
「それが、どうするのが良いのか悩んでいて……」何をどう伝えればいいのか言いあぐねていた僕に彼は、「美穂ちゃんは女なんだから、どうせいずれ結婚するんだし、それまで好きなこ
とやればいいじゃん! 今楽しいと思うことなら、なんでもいいじゃないー?(笑)」と言った。
女なんだし、結婚するからなんでもいいじゃんって……なにその答え方。僕が聞きたいのはそんなんじゃなくて、もし男性として生きたら、きちんと長く働いて、自分の分だけじゃなく
て、相手の人のお金も払うくらいの働きはしていたいし、そのためには、どんな職について、どのくらい稼がなくちゃいけなくて、んでもって将来自分の身体のために注ぎ込むお金が手術
の費用も入れて何百万円もするから、それを担保したくって……。当然、そんな細かい背景を伝えていないから、「女なら結婚という逃げ場があるから楽しく」ってなるのは、当然なのか
もしれない。言えないのが悪い。言ってないのが悪い。そう思うしかないけど、やっぱり辛い。こんな意味のない相談をしたいんじゃない。
言い方が男性目線というか上から目線っぽいのもなんか嫌。どうしても男には敵わないみたいな気持ちになった。女は仕事から外れてろみたいな。でもその人が悪い人ではないのを知っているから、湧き上がる感情が全て、自分の性格の悪さに対する苛立ちに変わる。
結局、就活を進めて内定をもらったのは、ある企業のドライバーの仕事。ほかに、営業職・総合職などもあって、それを希望したのだけど、何回言っても「人前よりも、ドライバーが向
いていると思うよ君は」と言われ、結局ドライバーでの内定だった。なんだか違和感はあったものの、就活当初は、カミングアウトをすれば、自分を人間とも思ってもらえず門前払いさ
れ、路上で靴磨きを自力でやるとか、なんとか頭を下げて夜の仕事をさせてもらうかしかないだろう、と本気で思っていたし、最悪、どこにも働く場所がない状態になると予想していただ
けに、ひとまず一般企業という場所から内定がもらえて、お金だけは頂ける状態になったことは本当にありがたかった。
兎にも角にも、共感してくれるまでの人がいてもいなくても、自分が「性同一性障害」という名称を通して、自分の状態を相手に伝えられて、状況だけでもわかってもらえることは、そ
れだけでも、今までの人生と全然違う景色だった。
大学4年の5月。内定はもらったものの、胸があることだけは、やはり許せなかった。
このままで生きることは、もうできない。
両親にカミングアウトをしてからもうすぐ2年。
ずっと話はしてきたけど、結局、具体的には何も進まなかった。
自分も、もう限界だ。と思い、障害に関することと、手術に向けて必要な資料を準備した。
親に許されていないから、きっと、この資料も受け取ってはくれないだろうけれど。
それと、もう1枚。泣きながら書いた、両親への手紙。
やっぱり、どうしても、わかってほしかった。
これまでの2人の様子から、直接渡すなんてとてもできなくて、手術に関する資料の一番後ろに、そっとしまった。
こんな裏切りのような文しか書けない自分の存在が、やっぱり憎かった。
でも、そうしなければ生きていけないことも事実だった。
ただ、今の今(30歳になった今)まで、話題に上がってきたことがないところをみると、おそらく、資料も含め、手紙も読んでいないのではないかと思う。
(※著者の母による記述)
いろいろな葛藤の間にも、時間が流れ、笑う日もあれば、友人と会話しては、子どものことを考える日が続いた。そして長男が結婚し、次男も婿に入り、美穂も大学4年生で就職活動
と、時は流れていった。私は心の中も、だんだん、そんな美穂は、今度はどのような言葉と行動で、私たち親に、自分の体のことを説得してくるのだろう! と心の中は、本当に重かった。
宮城の大学では、専攻が心理学だった。その時の先生が、定年に近い、独身の女の先生で、美穂の話をよく聞いて相談に乗ってくれていたようだった。ある日、美穂から「先生が、お母
さんと話がしたいと言っているので学校に来てくれないか」と言われた。私は、「なんで?」と嫌な予感がして答えたのを思い出す。きっと先生にお願いして、私を説得しようとしているのだろう。
「ちょっとずるいな、それはお門違いだ」と思ったが、これからどうしようとしているのかもわかっているので、人様に迷惑をかけてまで、と思い「会うよ」と言った。
その先生に私は会ってすぐ「美穂の体のことを説得してほしいと頼まれたんですか?」と尋ねた。すると「私は、美穂さんから何も頼まれていないし、美穂さんの味方でもお母さんの味
方でもありません。ただ、お母さんは、美穂さんの体のことをどのように思っているのかな? と思ってお会いしたかっただけです」と言われた。私の体の中の力が抜けて言ったのを覚えている。
先生は、私の話をゆっくり全て受け入れて聞いてくれ、最後に「美穂さんの体のような人たちがこの世の中にはいて、美穂さんも自分の体を本当の自分、体と心を少しでも近づけて、本
当の幸せな穏やかな人生を送るためにいろいろと努力をしていますが、卒業前に胸だけは取りたいと聞いています。もしお母さんにダメと言われたら、勝手に、自分のアルバイトで貯めて
いる100万円を使って手術をすると聞いていました」と、先生は勝手に手術をされた時の私に対しての思いと、1人で病院で胸を取ってもらっている美穂の2人の姿を思い浮かべて、私と面
会したいということのようだった。涙が出てしまった。私は、そこまでほかの人がこんなに私たちのことに向き合ってくれているのに、本当は、親が力にならなければいけないのに。私は、もうこれが潮時だなーと思った。
そして、ある日、美穂から「私はずっと20歳で死のうと思っていた」と告げられた。「でも、人のために生きられるなら、もう少し長く生きてもいいんじゃないか、と思った」と言わ
れた。その時は、もう申し訳なくて、そうだったんだーと。私は何も知らないで、何も理解できなくて可哀想に、と。よくそこまで言ってくれて、生きててくれて本当に良かったーと思った。
(勝又 栄政/Webオリジナル(外部転載))
(出典 news.nicovideo.jp)
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